食べていない時狂気のように軽く、
その代償のように1日わずか1食の食事が死ぬほど重く、
思考が崩落し、
「テレビ?」「動画?」「ネット?」「ブログ?」
「・・・本を読みたい?」「絵を描きたい・・・?」
「・・・そんな生き死にに抵触しない事象に
一秒たりとも思考や動作や人生を割いている余裕はないぜ?」
取り敢えず、今は耐えろッ!!・・・みたいな謎の修羅場(何度もありましたが、今迄で一番きつかったです)
を抜けて来ました。
多分自分自身の現実の体験として遭遇しないと
言語では伝達できない謎の体験なんだろうなと・・・解ってはいるのですが、
私自身にとっても、多分、生涯通して珍しい体験なのだと思われますので、
誰かのお役に立つかどうかは不明ながら、
拙い言葉を恐れず実体験をありのままに、念のためここに記しておきます。
・・・・・・その後は、それを抜け(つつあ)ると
今度は食べても全然重くなくなっていて、
「食べても重くない」
と解ると更に、
「食べなくても苦しくない(お腹が減って辛いというような状況がない)」
というのがだんだん更に深く自分のものになってくる・・・という
謎感覚&謎体験の中の、・・・今日この頃です・・・。
(逆説的にというのか、コインの裏表のように
そのありようは2つで一つという事なのかも知れません?)
なんだろう・・・・・・自分でももう何を書いているのか、
何について書いているのか、ちょっと・・・・・・・・。
・・・いや、それより、何につけてもまず、何と言うのか・・・
多少の困難はあったとはいえ、
生物の「生命活動の根幹ッ!!」を形成するはずの食欲って、
こんなにも簡単に
克服できる&出来ていいものなのでしょうか?
・・・えっ、どういうこと?
思想によって想像・体現・実行できるあらゆる行動は、
・・・それはつまり、食欲すらも、
「アイディアのひとつ」
でしかないと・・・そういう事なの・・・だろうか・・・?本当に?
・・・私は今何を体験しているのだろう。
そして何を書いているんだろう。こんなバカなこと。
しかしそうでなければ現実に、実際に、
私の摂取している各種栄養素・微量元素はその常識による基準値や
理化学的な理論計算値を十二分に満たしているのだろうか?
明らかにそうは思えないぞ?なんで支障なく行動できるのだろう?
食物から得た栄養素をATPに変換してATPからエネルギーを取り出して
生命活動を維持しているはずの私の体の機能は一体全体どうなっているのだ?
・・・まあいいか・・・宇宙に比べたら私という存在、私の保持している常識・知識、
私のフトコロなんてまだまだあまりに小さい小さい!
というだけの事なのかも知れない。
生きるのって不思議だね・・・うん・・・。
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